「選んでもらえる側」に積み上がっているもの
前回も書いたのですが、選んでもらえる側というのは、一回の打ち合わせや一本のメッセージでは作れないように感じています。
そこに積み上がっているのは、結果そのものというより、結果を出すまでの過程の見え方のような気がしています。
具体的に言うと、たとえばこういうものです。
- 約束を守る
- 期日に間に合わせる
- 困ったことが起きたときに、隠さず先に共有する
- 連絡の返信が遅れないようにする
どれも当たり前のことで、特別な技術ではありません。それでも、こういうふつうのやりとりが何回も積み重なってはじめて、「この人と組みたい」と思ってもらえるところに辿り着くんじゃないかと感じています。
派手な実績よりも、ふつうのやりとりの安定感のほうが、長期では効いてくるように思います。
時間が積み上げてくれるものは、技では代替できない
言葉の選び方や見せ方は、後から学べば追いつけます。けれど「あの時もちゃんとやってくれた」という記憶は、後から作ることができません。
選んでもらえる側になりたいなら、近道を探すより、目の前の一つ一つを丁寧にやっていくしかないのかもしれません。
選ばれようとして動くと、たぶん選ばれない
これは少し逆説的なのですが、「選ばれたい」を目的にして動くと、相手の判断材料を演出するような動きになりがちです。
自分の見え方を整え、実績を強めに伝え、相手が納得しやすいストーリーを作る。短期では機能することもあるのですが、長く続けていると、どこかで見透かされてしまうように感じています。
むしろ、目の前のことを丁寧にやっている人のところに、結果として声がかかっていくように見えます。
自分自身でも、選ばれようと努力をしていた時期がありました。
ただ振り返ってみると、その時期はあまりうまくいってなかったように思います。
自分本位での動きではなく、相手にとって良いと思う動きをする。これは相手を観察していないと行えません。
「選ばれる」を目的に置かず、結果として後からついてくるもの、と考えるくらいでちょうどいい気がしています。
「選ぶ側」に立ったとき、気をつけていること
もうひとつ最近思っていることがあります。
自分が誰かを選ぶ立場になったとき、相手の演出に流されないように意識しています。
派手な実績や肩書きより、普段のやりとりの返答の早さ、細部の丁寧さ、困ったときの動き方。そういう、地味だけれど積み上げが必要な部分を見るようにしています。
そうしているうちに気づいたのは、結局、自分が「選ばれる側」で見られているのと、同じ基準で人を見ているということでした。
選び方と選ばれ方が、自分の中でつながっている。だから、選ばれる側で積み上げてきたものは、自分が選ぶ側になったときの目線にもなる気がしています。
選び方は、選ばれ方に返ってくる
自分が普段どんな基準で人を選んでいるかを思い出すと、自分がどう見られたいかも見えてきます。
選ばれる側になるための準備は、選ぶ側の自分を整えることから始められるのかもしれません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。